近況報告 §

今年も残り1日となりました。TLをみていると、結構コミックマーケットに関する投稿が多い。

今日はコミックマーケット107の1日目で、31日まで開催される。公式サイトをみて知ったのだけど、今年でコミックマーケットは50周年らしい。第一回が開催。この冬で50周年ということらしい。

すごいねコミックマーケット。じつは自分はこれまでコミケにいったことがない。ここまで来ると、コミケに行かないまま人生を終えるのもいいかもしれないとさえ思ってしまう。

どうしてそうなるの、って思われるかもしれないけど、そういうところがあるんだよね自分。例えばディズニーランドにも行ったことがないんだけど、コミケと同じように、行かないほうがいいんじゃないかって気持ちになってしまっている。ディズニーランドやコミケにいったことがないことを、自分のアイデンティティのひとつにしようとしてしまっているというか。

コミケはともかく、ディズニーランドっていうと結構みんな行ったことがあるわけじゃないですか。いったことがない人のほうが珍しいくらい。いや、それって偏った見方なんだろうけども。

つまり天邪鬼ってことなんです。コミケにもディズニーランドにも行ったことがない。行かない。M-1も見ない。それがわたしなのだと。

ここでみなさんに問いかけたい。コミケ、行ったほうがいい? ディズニーランドって行ったほうがいい? どう思う?

今日、ジャーマンシェパードを飼う夢を見た。犬、かわいかったなあ。

2026年の目標を決めた §

には「チャーミングになる」という目標を掲げていた。以前から「チヤホヤされたい」という大きな目標を掲げていて(多分の真ん中あたりから)、これを達成するための前段階として、チヤホヤされるためにはチャーミングでなければいけないと思ったからだ。

さて、今日はである。もう2025年下半期も終わりだ。目標を確実に達成するためには、掲げた目標を達成できているか定期的に反省しなければいけない。反省しなければ次につなげることができないからだ。反省しよう。2025年下半期を通じて、自分はチャーミングになれたのだろうか。

自分のメタ認知能力を駆使したところによると、この目標は完全に未達成だ。チャーミングになれていない。チャーミングな存在とはかけ離れている。

なぜなら、チヤホヤされていないからだ。チャーミングな存在はチャーミングであるがゆえに、必然的にチヤホヤされる。チャーミングでなくてもチヤホヤされることはあるだろうが、それは一過性のものだろう。「チャーミングな存在」はチヤホヤされる。わたしは今チヤホヤされていない。ゆえに、目標は「完全に」未達成なのだ。

反省しよう。「チャーミングな存在になる」という目標は目標としては非常に漠然としたものだった。目標の達成基準は「チヤホヤされる」か「チヤホヤされない」かふたつにひとつしかない。

目標というものは、なるべく明快な達成基準を持ち、その達成基準を段階的に評価できるものであるべきだと思う。達成基準が明快でなければ具体的にそれが達成できているのか評価しようがないし、それが段階的に評価できなければ、達成するための方策をその都度修正していくことができないからだ。

思い返してみれば、わたしは「チャーミングな存在になる」という目標を設定してからというもの、それを達成するための具体的な方法論を確立できなかったし、それを達成するための努力もしなかった。そもそも何をすれば「チャーミングな存在になる」のか、よくわからなかったのだ。

具体的かつ明快な目標が必要だ。2026年上半期はそのような目標を設定しなければならない。そして、それを達成するための方法論を持たなければならない。

わたしは、チヤホヤされたい。チヤホヤされなければならない。そのため、2026年上半期にも、これを達成するための目標を立てようと思う。

心理学には、「単純接触効果」と呼ばれる心理現象の存在が知られている。「単純接触効果」とは、ひとや物事に繰り返し接すると、それについて好感度や印象が高まるという効果だといわれる。企業による広告や宣伝には、この効果を期待してコストが注ぎ込まれている。

チヤホヤされるためには、好感度や好印象が必要不可欠なはずだ。好感度や好印象を得るための方法論としては「単純接触効果」は非常に明快な判断基準となりうる。

「単純接触効果」を通じて好感度を高めるためには、多様な人々に継続的な刺激を与えなければならない。「多様な」というのは結構大きなハードルだ。デカい看板を立てるのも、巨大プラットフォームに広告を出稿するのも個人には非常にコストがかかる。実現可能なハードルで、自分にもできそうな手段で「継続的な刺激」を与える手段。SNSで定期的に投稿する、というのが手っ取り早いんじゃないだろうか。

前々から、自分のSNSでの投稿数が少ないこと、また年々少なくなっていることを危惧していた。書くことがない気がする。

2024年10月から2025年12月までの月別投稿数のグラフ

上記のグラフは、notestockによる、わたしのメインアカウントの投稿を表した統計グラフだ。公開範囲設定が「公開」のみの投稿数を、2024年10月から2025年12月まで、月別で集計してグラフに表したものだ。notestockでは1年以上前の投稿数の集計は支援者のみに提供しているため、集計できる範囲のわたしの投稿数を集計し、表示させた。

この1年をみても、投稿数の減少が確認できる。大局的にみて減少しているのかどうかは分からないが、体感的にもこのグラフは正しそうな気がする。

わたしのメインアカウントである@health@tanoshii.siteの登録日は2024日10月04日、2025年12月30日現在で、投稿数は4729ノートだ。453日で4729ノートということで、日数で割ると、だいたい10.4ノート/日ということになる。

さて、ここでこのメインアカウントの投稿数の目標値を設定したいと思う。2026年の目標はこれにしたい。

理由は上記のとおり、チヤホヤされるためだ。チヤホヤされるためには好感度が必要である。好感度を高めるためには単純接触効果が効果的だ。継続的な刺激を与えるために現実的な目標を設定するなら、SNSでの投稿数を上げるのがいいだろう。具体的な数値を設定するとしたらメインアカウントのこれまでの投稿数を勘案することで、目標値を設定できる。

目標値はわかりやすいほうがいい。「2026年末時点で@health@tanoshii.siteの投稿数を2万ノートにする」。これにしよう。

なぜ2万ノートなのか。わかりやすさを優先したからだ。

例えば「1万ノート」とすると、これまでのペースである10.4ノート/日で1万ノート達成するのは、単純計算で約1年4ヶ月半となる。これはハードルとしては低い。投稿ペースを今日から倍にした場合はこの半分だから、1万ノートを達成するのは約8ヶ月後となる。2万ノートを達成するのは2年後だ。

目標とした「2万ノート」とするならどうだろう。現在のペースと比較すると、2026年は約4倍のペースで投稿する必要がある。このペースを考えると、上半期が終了する段階で11000投稿している必要がある。投稿ペースを約4倍とすると、今後1日の投稿数は約41.5ノート/日としなければならない。

......あれ? 分かりやすさを優先するとか書いたけど結構ハードル高いな。計算してて(というよりAIに計算をやらせてて)思ったけど。できるか? これ。1日あたり41.5ノート。

時間で割ると3.46ノート。1時間に4回ノートする必要があるのか。いや、どうだろう。現実可能なのか? そもそも単純接触効果がどうとか書いたけど、SNSの投稿が届くのって、フォロワーだけじゃん。フォローしてくれてるんだからある程度の好感度は、まあ人それぞれフォローしてくれる理由に違いがあるにせよ、あるわけでしょ? 好感度というか、少なくとも興味は持ってくれてるわけでしょ?

急にSNSの投稿数が4倍になるひとがでたら、どう思われる? 自分だったらどうだろう。急にフォローしてるひとの投稿ペースが約4倍になったら。正直、うざくないか。うざいなそれは。

ちょっとまて、目標を太字にしちゃったけど、どうしよう。1万ノートだと簡単そうだし倍にしちゃえと思って決めただけだけど、どうしよう......?やっぱり戻す? 1万ノートに。



2026年の目標を決めました。「2026年末時点で@health@tanoshii.siteの投稿数を1.5万ノートにする」。これです。

日和ったわけじゃない! 現実的な数に変更しただけだ!

計算してみると、ペースは現在の約2.7倍にすればいい。必要なのは28投稿/日だ。2026年6月1日時点で9000ノートにすればいいということで、これもわかりやすい。

1万は簡単だと啖呵を切って倍の2万ノートを目標にして、計算してみたらなんかヤバそうで真ん中をとって1.5万ノートを目標に変更......ダサいと思われてもいいよ。だってしょうがないじゃないか。

なんか考えてみると、前提条件のすべてがおかしい気がしてきた。そもそもなんだよ、チヤホヤされたいって。ふざけてんのか。

ふざけていません。チヤホヤされたいのは本当なんだ。チャーミングになりたいのも本当。本心なんだ。頑張ろう。頑張ってチャーミングになろう。それが大事。愛は勝ちます。

サブカルについての話 §

昨日SNSでサブカルについて書いたんだよね。

https://x.com/lejewo/status/2005084362774380909 ポケモン自体サブカルっぽいところがあって、ポケモンカードゲームはさらにサブカル度が高い気がしていたのだが、ポケカの立ち上げにペヨトル工房が関わってると知って、思っていたより数段サブカル度が高い、と思った

@health@tanoshii.siteによる投稿、 (公開範囲:公開)

積んでたペヨトル興亡史をかんたんに見てみたけど詳しくは書いてないようにみえた。ポケモンカードゲームについての記述は見つけられた限り、乾あゆみ(元編集者)が寄稿している当時を回顧した記事に一瞬名前が出てくるのと、最後のデータ「ペヨトル工房の軌跡」でプロデュースとアートディレクションの欄にポケモンカードゲームの名前が記載、という2つだけだった

@health@tanoshii.siteによる投稿、 (公開範囲:ホーム)

https://note.com/kimurataro/n/na2056f192805 「ボンクラ」って言葉は自分にとっては伊藤計劃がブログでよく自嘲的な意味も込めてよく使ってた印象で、同じように使ってた「非モテ」なんかも含めてそういう言葉づかいにすごい影響を受けた。伊藤計劃について思い返してみると「ボンクラ」は映画秘宝用語で、ブログの文体は山形浩生にモロ影響を受けてて、エロゲオタクをバカにしてバクシーシ山下を持ち上げてて、ようはすごい90年代のサブカルの人なんだなというのが後から分かってきた。自分はちょっとそういうのが苦手だから、感慨というか、自分の中にもそういうものの影響が入ってるんだよな、というのをあらためて感じたりした

@health@tanoshii.siteによる投稿、 (公開範囲:フォロワー限定)

オタク文化が強くてオタクvsサブカルが喧伝されてたゼロ年代に自分が生きてたらどんなポジションを取ったんだろうとかって思う 逆張りをしてオタクをバカにしてた気もするし、普通にアニメの可愛い女の子が好きだからオタクとして生きてた気もする ゼロ年代批評に影響を受けて、オタク側からメタにオタクをバカにしてた気も(けっこう)する

@health@tanoshii.siteによる投稿、 (公開範囲:フォロワー限定)

むかしの2chの自虐的でアイロニカルなユーモアに影響を受けたってどっかで書いたけど、多分一番は10年代前半にツイッターで流行った冷笑文化に一番影響を受けてると思う

@health@tanoshii.siteによる投稿、 (公開範囲:フォロワー限定)

blockquoteのスタイリングを調整してたらめっちゃ時間かかった。自分の投稿だから公開範囲が非公開でも引用できるけど、それを明示しつついい感じに引用のキャプションをつけるのが面倒くさかった。

それはさておき、サブカルの話。といっても、上に書いたようなことを思っただけなんだけど。

自分は「サブカルオタク」を自称している。なぜかというと、「サブカルオタク」が他称かつ蔑称として使われがちで、「サブカル」と「オタク」というどちらもすでに存在する属性を安易にくっつけたもので、なによりそのふたつそれぞれに共感があるからだった。

「サブカル」がなんなのかについてはここでは書かない。めんどうくさいし。念頭に置いているのは、「サブカルチャー」と「サブカル」を別けて使う用例だ。知らない人はめんどくせーって思うかもしれないし、自分もそう思うのだが、そういうのが実はある。

「オタク」と「サブカル」が対立していた時代、と書いている部分がある。上から4つ目の投稿。これは、『ユリイカ2005年8月増刊号 総特集=オタクvsサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史』を念頭に置いている。この雑誌が作られた時代からこの対立が創られたものだと見る向きもあったし、この雑誌に寄稿するライターでさえ対立を疑問視していたのだが、象徴的なものとして書名を出した。オタクとサブカルを対立するものとして見なす風潮は(少なくとも雑誌の特集になるくらいには)あったということだ。そういうのがあったんです昔。すべて後追いで知ったんですが。

翻って今、世間一般的な意味では「オタク」と「サブカル」が対立するという構図はもうすでに死んでいるような気がする。サブカルもオタクも意味が雲散霧消、有名無実化している気がするからだ。

かといって、この対立がなくなったわけでもない気もする。かつて「サブカル」文化(という言い方ができるのは上記の用例を念頭に置いているからだが)に関わっていた人々の発言をみると、「オタク」を下に見たような発言をしているところが目に入るからだ。スコープが偏向しているし確証バイアスだ、といわれればそうのかもしれないが、これまた少なくとも自分はそんな気がする。

括弧が多いのと、「気がする」が多いのは、これがいろいろな意味で語りづらいからだが、「気がする」のを表現しておきたい気もするので許してほしい。

サブカルオタクを自称している自分は、この対立構造の間でウロウロしている。ほんらい排他的でないはずのこのふたつが対立するものとして見られるようになったのはどういうわけなんだろう。

いや、考えてみると、対立構造はないのかもしれない。かつていわゆる「サブカル」と呼ばれていたものに出自をもったり、影響を受けているであろうものや人々を「サブカル」と呼びたくなってしまうからそういう対立があるような気がするだけなのかもしれない。

......この話をつづけるにはもう少し具体的に書かないといけないんだと思う。で、具体的に書くには色々と問題がありそう。というわけで、ここではこの話は続けようがないなと思った。実はすこし書いたのだが、まだ整理がついていないと思って消した。このセクションはその残骸だと思ってください。

neocitiesニュース §

前に書こうと思って書くの忘れてた。

台湾でneocitiesがブロッキングされているらしい。知ったのは、neocitiesのアクティビティで台湾のユーザーがそれについて書いていたから。

redditでそれについて書いているサブレディットがあった。それ以外は特に情報がなく、現在どうなっているのかもよくわからない。

12月19日の投稿でアクセスできないと書いており、20日に追記する形でアクセスできない理由が書かれていた。20日に判明したらしいのだが、台湾でアクセスできないのは、台湾当局がneocitiesを「違法コンテンツ」に指定したかららしい。コメントではその理由は「Sexual abuse」と書かれていたという。

neocitiesのアクティビティでも、DNS RPZにブロッキングの理由が「Sexual abuse」と書かれており、それ以外にブロッキングの理由はわからなかった、とあった。もう少し具体的な情報がほしい。

台湾ユーザーは移行をはじめているようだ。移行先は主にnekowebが選ばれている。

neocitiesにsexual abuseコンテンツがあるという話は、まあありそうではある。アップロードできるファイルの種類やサイズに制限があるとはいえファイル自体のアップロードは容易だからだ。モデレーションがどの程度行われているのかは不明だが、なかなかファイルのチェックを行うのは大変だろうとも思うし。どこでもそうだが、プラットフォームの運営というのも大変なのだろうな。

というわけで、neocitiesニュースでした。

おわりに §

実は政治的立場についてのセクションも書いたんだけど、途中でやめて消した。「サブカル」と政治について書いて消しました。これだけでもうなんか言外のメッセージを発している気がするな。

2025年最後の雑記がこれになるんだと思うととても難しい気持ちになる。2026年はもっとうまく文書をかけるようになりたいぜ。

文章力と文体についても書きたいと思ったんだった。もともと言語化っていうのが苦手で、いつしか文章を書くことがそこまで苦にならなくなったのだが、それってどうしてなんだろうとか。いい感じの文章をかくには何を気にすればいいんだろうとか。自分の文体って軽薄な感じだからもうちょっとシュッとさせたいとか。

アドベントカレンダーに参加して、他のブログの記事を読むと、みんないい感じに文章を書いていてかっこいいなーと思ったとか。

まあ、2026年の目標を決めたので、それを達成するために頑張りたいと思います。頑張るぞ!

そんな感じで、2025年も終わります。みなさん、良いお年をお迎えくださいね。2026年もよろしくお願いします。