秘密の日記

ここはいど子の秘密ひみつの日記です ♥ 直リンク禁止!直リンクしたら死刑だぞ ♥ 

2026/01/06

隠しページを作ってみたいから秘密の日記ページを作ったけど、やっぱり書くことがないな。最近思ったことって何かあるだろう。相互リンクのちょきさんが個人サイトの作り方的なページを作ってて、自分もそんな感じのページを作ってみたいと思った。LLMを使えば、いま個人サイトを作る敷居は限りなく低くなっているし。などと考えたものの、「AIを使う」ってなると個人サイトを作っていくおもしろさみたいなものが半減してしまう気もするし、自分はそこまで拒否反応はないんだけれども生成AIについては様々な意見がありうるだろうから、結局思いとどまった。

「100%healthの作り方」みたいなページは作ってもいいかもって気はする。他の個人サイトを見ていて、「サイトポリシー」というページで、運用や制作上の心構えや利用しているツールや諸注意を書いているのを見かけて、こういうページを作るのもいいかもなあと思ったからだ。この個人サイトをはじめたのが2019年、実質的には2020年で、まだ生成AIが開発に利用できる以前だった。いまみたいな形が出来上がるまでは紆余曲折あったけれど、骨組みや建て付け自体は手打ちでHTMLを書いている。2026年の現在、この個人サイトを作るに当たって、生成AIは存分に利用させてもらっている。使用しているエディタはVSCodeフォークのAI機能を強化した「Cursor」というものだ。個々の判断はわたし個人によっているとはいえ、LLMの手が入っているページの比率はこのサイト全体で年々増えている。もし、いま自分が新しく個人サイトを作ることになっていたとしたら、多分LLMに作ってもらっていたと思う。そういう意味で、なんとなく個人サイトをはじめるタイミングが幸運だったと思わなくもない。
かといって、LLMを開発に利用することに拒否感はまったくない。成果物に限っていえば「AI臭い」サイト自体は嫌いだが、それは作り手次第だとも思うし。たとえば自分は文章をLLMに書かせて、それをそのままネット上にアップすることには拒否感がある。感覚的なものだけど、多少、もしくは可能な限りは、人間の手が入っていてほしいと思う。スタイリングもAI臭さが出る要素の一つだと思う。なんの注文もなしにLLMにページを作成させると、すごい「AIっぽい」スタイリングのページが出力される。あれもヤだ。なんかグラデーションとか、疑似要素とかに絵文字を使ったりするの。ああいうのをみるとAI slopだなあと思う。
文章に限っていえば、このサイトはLLMが書いた文章は(たぶんほとんど?)掲載していない。年表も雑記も、文章はすべて自分が書いたものだ。一方で、裏側はLLMの手が割と入っている。javascriptやcssをLLMに書かせたり、ページを自動生成するスクリプトをLLMに書かせたりしている。javascriptに関しては自分の手はほとんど入っていない。cssはLLMの出力をほとんど自分の手で修正している。動的要素の一部くらいじゃないかな。
LLMを利用するのって、ようは使いようなんじゃないのって思うのだ。確信をもって面倒くさいことをLLMにやらせるのは問題ない気がする。
ここからは議論が分かれることだと思うが、自分は画像に関しても似たような意見を持っている。いまネット上にある画像生成AIの出力物の大半はAI slopだと思う。pixivをみていてもそうだし、たとえばnoteの記事のヘッダーに使われているものも(nano banana proで創られていたとしてもほとんどが)非常にできが悪いし、醜いと思っている。ここまでは権利の話をしてこなかったが、自分は絵を描いているから、生成AIの権利の側面から生まれる反生成AI的な価値観も実際よくわかる。
これまで書いていた内容からわかるとおり、自分の生成AIに対する態度としては、(人間であれそれ以外であれ、そうした存在による)統制がとれていれば生成AIの利用は許容しうる、と思っている。統制の度合い、レベルは様々な議論があると思う。倫理的、法的、社会的、技術的、あるいは美学的な議論はそれぞれ個別に統制の議論の内側で行うべきだと思う。上のサイトの話でやったAIの話は美学的な側面でAIの統制の話をしている。倫理的統制というのは多分統制の議論で大きな比率を占める。AI学習で利用されるものの権利を保護すべき、という画像生成AI周りでよく目にする議論もそうだし、生成AIによる環境負荷や、AI学習用データラベリングのうらに国際的な搾取構造があるという話や、AI開発を進めるプラットフォーム企業間の競争が抱える問題だとか、学習物が保存する人間の差別的価値観だとか、AIアライメントに関する議論も、無論個別に様々な側面があるとはいえ、倫理的な議論のひとつといえるだろう。
ありかなしかというよりも、AIそのものや、それを開発する企業、それを支援する企業や国家など、それを下支えする社会・経済構造等......これらをどう統制するか、という話をしたほうがいいのではないか、というのが自分の素朴な気持ちだ。たぶんそこにあるのは、もうすでにあるものはなくせない、という価値観だとおもう。生成AIを支える技術はもうすでにある。データもすでにある。社会も価値観もすでにある。結局、すでにあるものをなくすことはできない。問題はすでにあるものをどう利用するか、修正するかなんじゃないか。修正するのはとても難しいのだが、たぶん、あるものをなくすのが一番難しい。修正の手段にはもちろん規制も入る。利用の手段には新しい形の技術や組織を作るというものも入る。AI技術というのはもうすでにある。利用するのか規制するのかは分からないが、AI技術を無に帰すことはできない。(2026年の高度な)AI技術が存在するということは、それを生み出した体制も存在するということで、それも無に帰すことはできない。
スケールの大きい話をしてしまった。しかし、個人のレベルでもできることは同じなのではないかと自分は考えている。

2025/10/07

本をたくさん買い込んでいて、部屋からあふれるくらいなんだけど、読み終わった本はぜんぜんない。全く読んでない本とか、一部だけ読んだ本が多い。その時々に向いた興味で本を買うんだけど、読了することなく興味が失われる。読みたいと思っていないわけではないけど、本を手元に置いておくこととか、本を買うこと自体が目的化しているようなところがある。小説はあまり買わないからこれでも問題ないと勝手に割り切っているけど、これは逃避だとも思う。積読を称揚するのは詭弁だと思うし、ポジティブに捉える流れに乗りたくないと思う。集中力も持続力も時間もないが、本を読みたい気持ちと本を買うお金は多少ある。だから読みたい本を買ってしまってどんどん本が溜まっていく。そういう現状にときどきこうやって自己嫌悪が湧き上がってくるけど、それによって本を読むわけでも、読まない本を買わなくなるわけでも、反省するわけでもない。これからも本はどんどん増えていくんだろうと思う。

こんな個人サイトを作っていてなん・・だけど、SNSにイラストをアップするのが未だに苦手だ。端的にいえば、恥ずかしいし、自信がない。SNS上で和気あいあいと絵をアップしてコミュニケーションを取っている人たちをみると疎外感を感じる。

2025/10/06

今日は秘密の日記を作ってみた!だからといって特に秘密なことを書く予定はないんだけども。ふつう秘密の日記っていうとどういうことを書くんだろう?愚痴とか、えっちなこととか?
えっちなことはまあ置いておいて、愚痴っていっても特にないしな。そもそも日記自体長続きしたことがないんだから、こんなページを作っても意味がなかった気がする。
隠しページは秘密の日記以外にも色々できるはずだからいろいろ作ってみたい。隠しページはロマンだから。やっぱえっちな絵のコーナー? 背景が暗い感じでさあ。どうせ作るんだったらスタイルも一新したいよね。