最近どうすか、逆に。
え、俺?俺はまあ、良くもなく、悪くもなくって感じかな。
なんとなく絵を描かないとなーと思いつつも描けない日々や。
ところで、雑記ページをはじめた理由を書いておこうと思う。
わたしは『あずまんが大王』という漫画がすきだ。
作者はあずまきよひこであり、あずまきよひこと組んで事務所「よつばスタジオ」をやっているのがデザイナー、編集者、コピーライターである里見英樹だ。
里見英樹の仕事で一般的にもっとも有名なものは『苺ましまろ』のコピー「かわいいは、正義!」だろう。
里見英樹はあずまきよひこ作品を語るうえで無視できない存在と言える。
その里見英樹がやっていた、よつばスタジオの前身となった個人事務所が「トライアスロン」であり、実は「トライアスロン」のページでやっていた雑記をリスペクトしてはじめたのがこのページというわけなのである。
少々込み入った話をしてしまった。
「トライアスロン」のページを知ったのが今年の04月28日らしい。
もともと、自己紹介する際に手っ取り早く自分自身の嗜好を説明できると思い、「サブカルオタク」と名乗るのがいいんじゃないかと思ったのだった。
そこから、「サブカルオタク」と名乗るのであればオタクの歴史くらいはある程度知っておかなければならないのでは、と思い、自分の好きなところから手を付けて調べている時に「トライアスロン」のページをインターネットアーカイブで発見した、という流れだった。
みなさんもぜひ読んでみてほしい。
「トライアスロン」のページは1999年04月02日にはじめたらしく、トップページに掲載されていた「ミニ日記」のほかに、「あずまんが」制作状況を伝える「トライアスロン繁盛記」コーナーが読み物として掲載されていた。
「ミニ日記」後半には『あずまんが大王』制作当時の日記が載っているが、その書きぶりが現在のジェントリフィケーションされた一部のオタク文化や「よつばスタジオ」のイメージから遠く離れており、それ自体が当時の雰囲気を表していてとてもよい。
かつて、ミニフィギュアブームというものがあった。
2003年の07月30日にタカラが着せ替え人形シリーズである「リカちゃん」の販売5000万体突破記念の特別企画としてぶち上げたミニフィギュアシリーズ「リカヴィネ」に端を発するブームだ。
「リカヴィネ」シリーズはコンビニで発売され、大嶋優木が原型を担当した「ロリコン」風味のセクシャルな人形にオタクは殺到した。
「リカヴィネ」を契機として発生したミニフィギュアブームは、「週間わたしのおにいちゃん」や「ネトヴィネ」等々を通過して2004年09月12日から11月07日まで行われた第9回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館のカタログ付録「新横浜ありな」に結実する。
森川嘉一郎によって「おたく」をテーマに日本館の展示が企画されたのだが、そのカタログに付録として付属したミニフィギュアが「新横浜ありな」であり、それは「週間わたしのおにいちゃん」と設定を共有していた。
現代ではフィギュア単体よりもそれを使った木村世忍のコラージュが有名だろう。しかし、そもそも「新横浜ありな」を含む「週間わたしのおにいちゃん」の企画をもともと生み出したのが、里見英樹なのである。
「リカヴィネ」に先立つ2002年03月26日に創刊された『電撃萌王』、その創刊号に掲載されたよつばスタジオによるコラム「草冠のしたの太陽と月」で冗談として企画されたのがそもそも「週間わたしのおにいちゃん」のはじまりだった。
「草冠のしたの太陽と月」の執筆者は「よつばスタジオ」名義であるが、おそらく里見英樹が行っている。そして雑誌の表紙イラストはあずまきよひこが描いている。
「草冠のしたの太陽と月」の冗談企画「週間わたしのおにいちゃん」は、なぜ冗談からはじまったのか。
ほのめかすようで悪いが、「あずまんが大王」が『電撃萌王』の親雑誌である『月刊コミック電撃大王』で連載されていた当時、同じく『電撃大王』に「よつばスタジオ繁盛記」というコラムが掲載されていた。
執筆者はよつばスタジオ名義でなく、里見英樹である。
「よつばスタジオ繁盛記」は、「トライアスロン」ホームページに掲載されていた「トライアスロン繁盛記」からその名を引き継いでいる。
そして、「よつばスタジオ繁盛記」にせよ「トライアスロン繁盛記」にせよ、その構成は「冗談」を中心になされていた。
「よつばスタジオ繁盛記」は里見英樹によるあずまきよひこへのインタビューという形式をとっているが、その中身はすべて(あるいはほとんど?)里見英樹の創作だった。
「トライアスロン繁盛記」も日記執筆者は「里見さん」とは別の「みっふぃー」なるウサギが執筆しているという建付けになっていた。
「トライアスロン繁盛記」から、里見英樹とあずまきよひこの友情が垣間見える場面がある。
2000年05月21日に「近所の漫画家さんの部屋でゴロゴロ」したという日記なのだが、献本で置いてあった「電撃アニメーションマガジン」を読んでいて、付録のポスターにあずまきよひこが落書きをしたという内容だ。嫌味混じりに「僕の宝物になりました」と書かれている。
23日の日記に再び「近所の漫画家さん」が登場するが、そこで僕が17才なら、という形で「キレる17才」が言及される。
感のいい人は気づくかもしれない。
ここで言われる「キレる17才」とは、2000年05月03日に発生した「西鉄バスジャック事件」の犯人、いわゆる「ネオ麦茶」のことである。
西鉄バスジャック事件によって、犯人が犯行予告を書き込んだとされる匿名掲示板「2ちゃんねる」がマスメディアに報じられた。
「西鉄バスジャック事件」をきっかけとして「2ちゃんねる」はより知名度を広げ、オタク文化の中心地の一つとなっていく。
「2ちゃんねる」管理人だったひろゆきがニュースステーションでのインタビューで「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と発言したシーンが放送されたのは、事件後の05月09日だった。
嘘は嘘だ。
しかし、虚構は文化の核そのものであり、虚構を真実かのように、「ごっこ遊び」のようにして振る舞うことは、虚構を楽しむことの必要条件でもある。
嘘は嘘であるといったひろゆきは正しい。嘘は本物ではないし、嘘を本物だとナイーブに信じることもただしくない。
嘘を楽しむことに危険が伴うということは、2024年07月現在を生きている我々ならば明らかだろう。
2000年05月から1年3ヶ月後、2ちゃんねるでは「8月危機」が発生し、避難所として「ふたば☆ちゃんねる」が設立される。
「ふたば☆ちゃんねる」から「4chan」が生まれるのがそれから2年1ヶ月後のことだ。
そこから15年1ヶ月を経て「4chan」では「Qanon」の源流となる「Qクリアランスの愛国者」の書き込みがなされることになる......。
「Qanon」を引くまでもなく、2ちゃんねるはあらゆる悪徳のるつぼだったし、「嘘」発言のひろゆきも、もともとは交通違反をもみ消す方法の紹介がインターネット上の活動の原点である人物だった。
なにごともバランスが大事なのだと思う。
「バランス」をとることほど難しいものはない、それは自覚すべきだが、しかし、「嘘」を楽しむことそれ自体は否定したくないと思う。
インターネットの歴史、人の歴史はバランスが崩れる歴史だ。崩れに崩れまくっている。
だけど、もともとアンバランスだったとしても、最終的に崩れたとしても、崩れたことだけをみてすべてを否定すべきではないと思う。
ここまで何も考えず書き連ねてきたが、つまり何がいいたいのか無理やりまとめると、オタク文化っていうのは薄汚れているということ、だけどそれでも愛すべきものはそこにあるということなのだ。
薄汚れていることそれ自体は否定すべきではない。われわれは薄汚れている。
われわれ自身の過去を知ること、文化を継承することとはそれを自覚することからはじまるのだと思う。
そんで、えーとまあ、そういう感じで雑記ページをはじめたということなのだ。
つまりはこれからもどうかよろしくね。