はじめに §

すしすきー vol.2 Advent Calendar 2025」の17日目の記事です。

遅れてごめん。ぼーっとしてたら日付が変わって18日になっちゃったよ。ところで、なにも書くことを決めていないので、普通に近況報告をしていきたいと思います。

アドベントカレンダーはこういう記事も受け入れてくれるはず。包容力があるので。だよね?

早速内輪の話をすると、12月に入って4つ目の雑記です。月に4回の更新というのは雑記はじまって以来初めてです。すごい!

上から書き殴っているので最終的にどんな記事が出力されるのかわかんないんだけど、最初のセクションに目次的なまとめを書いておきたい。

まず、アドベントカレンダーの感想。これまで2つ記事を書いたので、その反省など。あと、定点観測の話、インターネットのためにインターネットを離れたほうがいいのかもしれないという話、冷笑の話。これくらいかも。これを書くかもしれないし、書かないかもしれない。

そんなわけで、まずはアドベントカレンダーの感想と反省を書きます。

アドベントカレンダーのこれまでの感想など §

ここ数年、アドベントカレンダーにいくつかの記事を書いている。

こういうイベントみたいなのが好きで、テンションが上がって登録しちゃうから。アドベントカレンダーの説明はいらないよね。

今年は4件登録した。まずは、「個人サイトを語ろう Advent Calender 2025」。6日目に登録した(記事はこれ。)。

登録したきっかけは、Adventerのトップページを見ていて発見したところから。じつは去年にも個人サイトについてのアドベントカレンダーを発見して記事を書いていて(「個人ホームページ訪問 Advent Calendar 2024 」)、その流れで、あるなら今年も、という感じで登録した。

書いた内容は、個人サイト(ここ)のことし1年のまとめ的な記事でした。このサイトはneocitiesっていう静的サイトホスティングサービスを(無料で!)利用して公開していて、記事ではneocitiesのコミュニティについて改めて説明してみた。

このサービスは単にホスティングするだけのサービスというわけではなく、ソーシャルメディア的な機能もあり、じつはサイト上のつながりとは別の、これを利用したコミュニティがある。このコミュニティについて、自分が考えていることを言語化した。

neocitiesで公開されているサイトを色々と見ていると、なんとなく共通した雰囲気を感じる。管理者のプロフィールをみてみると、意外と年齢層が若い。こうした人々が個人サイトをやっているのはなぜなのか。

このサイトデザインというか雰囲気の共通点の背景には、いわゆる「aesthetic」というインターネットミームというかサブカルチャーがあり、このサブカルチャーの来歴そのものが、じつはneocitiesコミュニティの来歴と関係している(のではないか)というのが、もともと考えていたことだった。

実は、もともと、この「aesthetic」については以前からまとまった文章を書こうと考えていた。2019年くらいに下書きみたいなものを書いていたんだけど、そこからやる気が低減してほったらかしにしていた。

でも、死蔵していてももったいない気がする。書こうとしているアイデアはあんまりネット上では書かれていない。ウダウダしている間にコロナ禍が来て、けっこうaesthetic文化が日本語圏にも知られるようになってる。

完成させたらおもしろい文章になると思うんだけど、完成させるほどのやる気はもうない。ならもう適当に書いていってしまおう。とまあ、こういう経緯があって、雑記でどんどん書いていくことにしたのだ。

ここでも書いちゃうけど、コアアイデアとしては、「aesthetic文化」の技術的な背景を「web2.0」的なものが担っていた、という話がしたかった。

aesthetic文化が生まれたのがTumblrというSNSで、Tumblrの仕組みがaestethic文化を生む条件になった。Tumblrの仕組みを考えてみると、それはいわゆる「web2.0」的な動向から生まれている。要約してしまうと、大ざっぱにみてみれば、aestethic文化はweb2.0的なムーブメントなんじゃないの、という。キーワードは、「セマンティックウェブ」、「フォークソノミー」、「ハッシュタグ」、「リブログ」。

話がめちゃくちゃズレてしまった。次のアドベントカレンダーの話にすすもう。



同じ段落でも区切り線を入れるとなんか話が変わった感じがしていいよね。

次に書いたアドベントカレンダーの記事が「えとねるん Advent Calendar 2025」の10日目の記事。4つ登録したものの2つ目だ。

最初の記事は登録した日付に合わせて公開できたんだけど、この記事は2日ズレて12日に公開してしまった。

なんというか、非常にごめん。ごめん感しかない。

内容は、わたくしidokoが以前から更新していた「分散SNS関連年表」の更新の告知記事。

ことしの4月末から更新が途切れていて、久しぶりの更新だったので、アドベントカレンダーの記事の本体を年表の更新そのものにしてしまおうという魂胆だった。

それでなぜ2日も遅れてしまったのか、という話はしないでほしい。なんでキャパシティを越えてアドベントカレンダーに登録してしまうのか、という話もしないでほしい。わかってるから。反省してるから。

ところで、この「えとねるん」というのはmisskeyサーバーmsk.ilnk.infoのことだ。管理人はsushi.skiのモデレーターでもあるこんこんたんぬもろてさん。そして、実は、わたしはえとねるんのモデレーターでもある。

つまりわたしはsushi.skiのモデレーターがやってるサーバーのモデレーターをやっている。ほぼsushi.skiのモデレーターといっても過言ではない。

かねてからわたしはsushi.skiのモデレーターになるのを希望している。エビデンスベースで考えて、sushi.skiのモデレーターになる日も近いと思う。



で、4つ登録したうちの3つ目の記事。「tanoshii.site Advent Calendar 2025」の15日目。

正直に告白すると、このアドベントカレンダーの15日目の記事は、まだ書いていない。

この「tanoshii.site」というのも、misskeyサーバーのことだ。管理人は、例によってsushi.skiのモデレーターをしている蝉暮せせせさん。えとねるんとは違ってわたしはtanoshii.siteのモデレーターではないのだが。

まだ書いていなくて、ごめんなさい。書くことを考えずにその場のテンションで登録してごめんなさい。

そのうち書く。書きます。



で、この記事が、4つ登録したアドベントカレンダーの最後の記事だ。とりあえず今年書いたアドベントカレンダーについて振り返ってみている。

自己言及!一体この記事はどこにいきつくのだろうか。

3つ目の記事を飛ばして4つ目のアドベントカレンダーの記事を書いていることを疑問に思う読者もいることだろう。

これは、外面の問題だ。冒頭の埋め込みをみると分かる通り、すしすきーのアドベントカレンダーってめっちゃ登録者がいるし、結構みんな記事を書いている。たいして3つ目のtanoshii.siteアドベントカレンダーは登録者は自分を含めて4人しかいない。

登録したアドベントカレンダーの、遅れている残り2つの記事を書いていくとしたら、優先順位をうまくつけなければならない。切羽詰った状況なのだから、こっちが先。

計画性がないのがわたしの欠点です。

定点観測の話 §

忘れるところだった。定点観測の話。冒頭に書いた通り、これを書かなければ。

最近、定期的な出力をしなければならないと感じている。

インターネットをやっていると、いつの間にかなにかが盛り上がったり、いつの間にかその盛り上がりが忘れ去られたり、何かが変わったり、なにかが変わったことはわかるが何が変わったのかよくわからなくなったりする状況を経験する。

、ツイッターがデフォルトのタイムラインに「おすすめ」というレコメンデーションアルゴリズムを導入した。たしか、ほかのプラットフォームに追従したものだったはずだが、思うに、これはインターネットの風景を大きく変える契機の一つだった。

それまでは、フォローしていたアカウントの投稿が時系列でタイムラインならんでいた。個人的な感覚の話でしかないが、時系列タイムラインがデフォルトだった時代はとてもツイッターが「わかりやすかった」気がする。

いつの間にか、インターネットの風景がアルゴリズムで構築されたものばかりになっている。ページを更新すると、そのページにならんだコンテンツが入れ替わる。どのプラットフォームもそうなっている。

アルゴリズムで動的に生成されるインターネットは、翻って、「分かりづらい」。

この「分かりやすさ」、「分かりづらさ」は、ニュアンスの問題で、感覚的なものだ。うまく言語化できないが、言い換えてみると、「捉えどころがない」感じといえるかもしれない。

「分かりやすさ」という言葉で表現するとインターネットがわかりやすかった時代があるのかと思われるかもしれない。

そのとおりだ。ネットはいつでも広大だし、インターネットに限らずいつの時代もすべてがいつの間にか変わっている。

動的なサイトが出現したのも20年以上前の話だし、かといって今すべてのサイトが動的であるわけでもない。

もう少し考えてみると、「捉えどころのなさ」や「分かりづらさ」とは、他者と見ているものが違う、という感覚なのかもしれない。ターゲティングやパーソナライズで、動的にコンテンツが表示される。かつてのGoogle検索はページランクによる評価を行っていても、検索ワードが同じであれば結果が他のユーザーによる検索結果は似たようなものだった。

検索結果が検索履歴やトラッキングによる情報収集によってパーソナライズされるものになり、文字どおりどんどん人とは違う検索結果が表示されるようになった。

パーソナライズはgoogleだけでなく、ほかのプラットフォームも進めている。人と見ているものが違うという感覚は、アルゴリズムそのものというより、パーソナライズに由来するのかもしれない。

話をもどして、定期的な出力が大事だと思った、という話。これは、これまで書いてきたような居心地の悪さを、見ているインターネットの風景を記録・共有することで緩和できないだろうか、と思ったからだった。

SNSはどんどん投稿が流れていく。レコメンデーションアルゴリズム・パーソナライズが強いtwitterは論外として、オルタナティブなソーシャルメディアでもそれは変わらない。

この個人サイトのようなストック型のサイトで、自分の見ているインターネットの風景を記録すること。捉えどころのないインターネットの「定点観測」とその記録が、今のこの捉えどころのないインターネットを捉えられるようにできるかもしれない。

記録と観測が、自分も含めたいつかの誰かがインターネットを捉えられるようになる手助けになるのかもしれない。

こんなわけで、インターネットの定点観測をしたいなと思ったという話でした。なんだかエモエモな文章になってしまった。

#observation

インターネットのためにインターネットを離れたほうがいいのかもしれないと思った §

「定点観測」の話と同じように、これも思いつきみたいな話。今のインターネットって情報がインターネットでグルグル回ってるじゃないですか。SNSをみてもそうだし、ウェブメディアもそんな感じする。

と、書いたところですでに自信がなくなってきた。そうじゃないかも。こう思ってるの自分だけ?

自分がインターネットだけを見すぎているからなのかもしれない。

こう思ったのは、なんか、インターネットに恩返しをしたいなとずっと思ってるからだ。この記事もそうだし、ほかのページを見てもそうだとおもうけど、自分はインターネット以外にはほとんど依存先がない存在だ。

インターネットに育てられたし、インターネットからもらったものばかりだと感じる。自分がインターネットに恩返しをするためにできることってなんだろう?って考えたとき、それって、インターネットの話題をグルグルまわして文章を書いたり情報をまとめたりすることじゃなくて、インターネットの外から情報を持ってくることなんじゃないか。

さっきの「定点観測」の話と真逆の話をしていると思う。でも、やりたいことっていうのは、インターネットへの恩返しなんだ。

ある意味、この「インターネットの外」と「定点観測」というふたつの話に共通するのは、インターネットとの適切な距離感がインターネットのためになるのかもしれない......という予感がある、というところなのかもしれない。

わかんないけど。とりとめもない話。いやこれも「定点観測」か?というか「インターネット」言いすぎだろ。

冷笑の話 §

最近ツイッターをみてると、「冷笑」がインターネットミームみたいになってきてる感じがする。

最近見るようになった言葉が「うおw」。ピクシブ百科事典によると「配信者界隈」で2024年前半頃から流行りだしたらしい。派生として、もこうの配信から2024年中旬頃に生まれた「どわーw」、2025年に入って広まったらしいニコニコ動画の定型文コメント機能を元にした淫夢用語「おお」があるようだ。

ネットミームっぽくなっていると感じたきっかけが、邪教によるnote「冷笑100選」が話題になっているのを見かけたからだ。告知ツイートにされていて、現在で2000RTを越えているため話題になっているのがわかる。

似たような記事で思い浮かぶのが、ダ・ヴィンチ・恐山がに公開したnote「頻出ツイート100選(はてな匿名ダイアリーへの転載)」だ。当日話題になってまとめが作成され、当日中に記事が削除されている。

ただの連想なのだが、2017年05月末に出現した「ネット論客108星」なるツイッターアカウントも思い出す。このアカウントにフォローされたアカウントが「ネット論客108星」として話題になった。

冷笑でいうと、ここ数年自分のTLでは「冷笑から誠実へ」っていう言葉が話題になっていた。「冷笑」のミーム化というのが本当に起こっているのかよくわからないが、もしミーム化が起こっているとしたら、これは「誠実」へのカウンターとしての動向かもしれない。

ツイッターで検索してみると、「冷笑から誠実へ」というのは「オモコロ」に関するツイートが発端らしかった。

自分の観測範囲で言うと、批評系クラスタのあにもにさんが2023年くらいに冷笑を批判するような投稿をしていた記憶がある(簡単に検索してみた結果)。

さらに個人的な主観を書いておくと、「冷笑系」といえば「破滅クラスタ」的なツイッター上のクラスタがまず思い浮かぶ。

くわしくは分散SNS関連年表を見てほしいのだが、「破滅クラスタ」というのは2008年頃に命名されたtwitterユーザーのあるまとまりを指す。

さらに遡ることもできそうだが、ともかく、「破滅クラスタ」周辺のtwitterユーザーが「冷笑」的なツイートを行っていた印象がある。

ネット上の冷笑文化(?)の本場はtwitterよりも明らかに2ちゃんねるだろう。以前雑記で言及したが北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』がこうした動向を取り扱っていた。

話というか、定点観測の実践として、なんとなく話題になっているっぽい「冷笑」について、個人的に思い浮かぶ話題をまとめてみた。

#observation

その他・まとめ §

思いつく話を書いてたらめちゃくちゃとりとめもない感じになってるぞ!終わっていきたい。

最近、「植リンク活動」という言葉を知った。「植リンク」というのは倉下忠憲によるブログ「R-style」の記事で提唱された活動のことだ。

文字通り、「植林活動」と掛けて、個人的なブログやサイトをリンクでつなげる活動のことを「植リンク活動」と名付けている。

なんだかちょっと意識の高い感じが冷笑オタク的に辛い気もちょっとするけど、この言葉はいいなと思った。

インターネットのためになりそうな活動でもある。ウェルビーイングを促進してくれそうな感じ。

植リンクをしていき、インターネット環境を保全していきたいなと思いました。

アルゴリズムの話を書いてて思い出したんだけど、youtubeのアルゴリズムによって急に話題になる動画ってあるよね。

コメント欄で盛り上がってるのをみる。「あなたへのおすすめ」で急に古い動画が表示されて、見てみるとコメント欄で同じようにレコメンドされたって人たちが盛り上がっているやつ。

竹内まりやのplastic loveがこのルートで話題になって、シティポップリバイバルを後押しした記憶が新しい。

あれって、ある程度クラスタリングされた、似た傾向のあるユーザーにレコメンドされてると思うんだけど、古い動画が流れてくるからおもしろいよね。

一時期自分の「あなたへのおすすめ」にすごい表示されたけど、いつの間にか見なくなった動画って多分たくさんある気がする。youtubeアルゴリズムによって妙な動画が掘り返されるのは面白いと思うけど、自分が気づかずにレコメンドされなくなっていく動画も多いんだと思うと、なんだかさみしく感じる。

そういうのも含めてインターネットの風景って感じがする。そういうのも記録されてほしい気がする。というか記録したい気がする。

twitterにもそういう機能ほしいな。「おすすめ」タイムラインをみてたら、ぜんぜん知らないあるいちユーザーの昔の投稿がめちゃくちゃ流れてくる時期がある、みたいな。

こう考えると邪魔な感じもするな。みなさんはどう思いますか?

締めます。とりとめもなさすぎる。が、こういう雑記を2026年も書いていきたいなと思いました。

読んでくれた方、ありがとうございました。