近況

雑記について、なんだか最近(?)毎回分量がヘビーなっている。

別に意識してるわけじゃないんだけど、どうせ書くならってことで毎回長めに書いてしまっていて、なんとなくこれは本来の趣旨とは離れてるんじゃないかって気がしないでもない。

来月からもう少し分量短めの記事を細かく出すようにしよう。

まとめの表

  • 07月31日 京アニショップから荷物が届く。平沢唯さんの描き下ろし生原画抽選販売に当たったやつ!
  • 08月01日 いど子通信#39@twitch
  • 08月03日 100%health更新。tehhemさんと相互リンクになる。
  • 08月08日 分散SNS関連年表をフランス革命からはじめたらおもしろいんじゃないかと気づく。が、更新はめんどくさくてせず。
  • 08月09日 いど子通信#40@twitch
  • 08月11日 オーストラリアに行きたいと思う。思っただけ。
  • 08月12日 親知らずの抜歯のため入院する。当日昼4本抜歯する。痛くてつらい。その後1週間歯が痛いのと血餅が外れそうとで流動食を食べて過ごす。
  • 08月13日 退院
  • 08月15日 100%health更新。ネオ日本語ウェブリングに参加、主宰のちょきさんのサイトと相互リンクになる。
  • 08月15日 100%health更新。みかんさん、JSさん、ほそかわさんのリンクを設置。
  • 08月15日 いど子通信#41@twitch ここから広告がつく。
  • 08月16日 100%health更新。相互リンクが増える。
  • 08月17日 口の中に口内炎が2つできる。ゴツいの。
  • 08月18日 他人事ラジオ#26@youtube
  • 08月18日 100%health更新。caramelpuddinzさん、げをさん、ありがとうジャバのサイトのリンクを設置。
  • 08月19日 インディーロックいいなと思う。
  • 08月22日 いど子通信#42@twitch
  • 08月23日 100%health更新。さくしゃさん、IamnotHayatoさんのサイトのリンクを設置。
  • 08月23日 100%health更新。「やさしい日本語」に対応
  • 08月24日 100%health更新。15さんのミンゲイインターネットに参加。
#timeline


最近のneocitiesの感じ

08月に入ってから100%healthの更新が増えている。なぜだろう?

まずは03日のtehhemさん相互リンク。どうやって知り合ったのか正確には覚えていないけど、twitterのアニメーター系の投稿を見ていて知ったような気がする。tehhemさんはアニメーターらしい。アニメ好きなのですごいと思う。

リンク集のところでも書いたけど、tehhemさんのサイトのリンク集の並びが恐れ多い。木澤佐登志、おれ、ボーンデジタルのフィル・ヘイルインタービュー記事、豊井さん、西村ツチカ、千葉雅也、福尾匠......。やばい。

そんで08月15日。ネオ日本語ウェブリングへの参加。これも具体的には覚えてないけど、neocitiesの更新をちょっと見てみて知った記憶がある。というか最近なんだから覚えておけよ。

ウェブリングへの参加は初めてで、ちょっとドキドキした。ウェブリングの開始は05月28日らしいのだが、登録順としては12番目。すごい。盛り上がってる。

で、これをきっかけに広がったneocities日本語界隈の輪。そもそも、08月02日にHTML Energyが呼びかけたHTML DAYのイベントが日本でもあったらしく、自分は開催してから少ししてneocitiesのトップページで知った。

HTML Energy運動は以前から知っていて、これに関連するイベントが日本でも行われていることを知ってびっくりした。日本のイベントの主催は北千住デザイン。よく知らないけど聞いたことある。ページを見てみると、こちらが勝手にリスペクトしている橋本麦さんが参加している。

多分、それから少ししてから「日本語neocities界隈」的なものが盛り上がっているということを知ったんだった。

ウェブリングの主催のちょきさんと参加者のJCさんが参加しているのを後から知った。だから、HTML DAYが直接のきっかけでウェブリングを知ったわけではないはず。

ともかく、そこから相互リンクが増えた。数人はこちらがリンクをして、neocitiesのメッセージで連絡をした。

ウェブリング参加者は日本語が母語の方の他に学習者の方もいて、日本語が母語な自分からするとどうしても距離感を感じてしまう。相互リンクも日本語が母語の方のサイトばかり連絡してしまって、よくないなと思う。

言語関係なく仲良くできるなら仲良くしたいものだ。これを読んでいる非日本語話者の方がいたら(いるのか?)ぜひ相互リンクになってください。

ここで唐突に古参風を吹かしておくと、わたしがneocitiesに参加したのは2019年07月。思えばあの頃は日本人がほとんどおらんかった。

まあ、それは置いておいて。次。08月23日にはさくしゃさんがリンクを追加してくれたことをfediverseで教えてくれて、こちらもリンクを設置した。さくしゃさんのサイトはその直前にウェブリングで知って、こっちがリンクを設置しようと思っていたからびっくりした。さくしゃさんはfediverseユーザーでもあり、そこもなんだが共感する。

fediverseとneocities/nekowebはそのオルタナティブ性からかちょっと繋がりというか距離が近くて、昔から英語圏のユーザーではneocitiesユーザー/fediにアカウントを持ってる人を度々見かけていた。

思い出深いのはEUNOMIA騒動のときにmastodon側のチャットログをリークさせたGNU Jihadのサイトがneocitiesでホスティングされていたことだろうか。日本語話者だとふうせんさんがneotiesで副サイトみたいなことをやっていた。最近nekowebに移行したみたいだ。あと、カスタム絵文字でよくみるpetpet(撫でる絵文字)のジェネレーターがneocitiesにあるのとか。静的サイトなのにすごい。

fediverseの人はもっと個人サイト作ればいいのにって思う。そんで相互リンクになってくれ。

そして同23日、やさしい日本語に見出しを対応させてみた。

深い意味はない。アクセス解析によると、実はこのサイトは日本語ユーザーより英語ユーザーに見られているらしくて、それに合わせて見出しとかトップページの紹介文を日英語で併記してみたり、08月最初辺りから試行錯誤していたのだ。

23日には地味にいろいろ変えていて、リンク集を更新したほか細かいデザインの変更とか、アクセスカウンターや最終更新日の表記を変えたり、トップページに雑記帳へのリンクを表示したりとかしていた。

rubyタグはHTML DAYの北千住デザインさんのサイトオマージュごめんパクリですしていて、前述の試行錯誤の一環として色々と使ってみたって感じなのです。

アクセシビリティ対応も並行して、LLMに聞きながらやってみたりして、そういう取り組みの一環でもある。あとは環境負荷も下げたいし、そういう意識高い雰囲気がでると面白いかなっていうお遊び的な意図もあったり。最初はアクロバティックなやさしい日本語をルビにしていたけど、すこし直して「多少やさしい」くらいのニュアンスに戻している。日英どころか8か国語併記とかしたら面白いんじゃないかTimothy LukeによるCaroline polachekのデススト2のテーマソングのMVが歌詞5ヶ国語(+点字)併記で、これいいなと思った

rubyタグは可能性あるな。円城塔好きだし、文字禍のパクリ縮小再生産みたいなのやりたいな。書いてて思ったけどネストできるのかな。ネストできたら面白いと思うどうなんやろ。できても別に面白くないやろ日付が変わってしまった。続きは明日にしよう。。できた!

やさしい日本語については無論、昨今の排外主義的な風潮に抗して包摂を意思表示する意図もないわけではない二重否定は修辞技法です。いや、あるといえるほどではないわけではない?かもしれない。もしかしたらない反語の可能性について検討すべきかもしれない要出典

rubyタグ、おもしろい。自己ツッコミ文の最後に()をつけたりするの恥ずかしいじゃんに最適でいいな。

個人サイトについて、今後の方向性については色々とやりたいことはある。その前に、そもそも掲載する絵が年々減っているし、そろそろちゃんと絵を描かないといけないとも思う。

あとやっぱり、分散SNS関連年表も更新しないとどんどん後から大変になってしまうネタ本を買ったりして調べ物をしていないわけじゃないんだよね。書いてまとめるのが面倒くさい。

すきな音楽のページとかは結構作りたい。あと各メインページのヘッダーはフッターかなにかに専用のイラストを掲示したらかわいいんじゃないかとか。やりたいこと自体はいろいろある。

最後に、ルビの方の分量が長くなって、元の文の字間が長くなるのがニコニコ動画の赤文字例えば、「大外刈り」とか。あとは「三森すずこ」とか。わかるよね。みたいで面白いなと思った。



配信について

見てくれてありがとう。収益化条件を満たしたみたいで、配信中に広告を出すようにしてみた。

......このセクションとコンテンツ感想コーナーの続きは別の日に更新することにしよう。26日に更新する予定だったけど、もう日付変わっちゃったから。

次の分散SNSについての話は読まなくてもいいよ。先に書いたんだけど、結論よくわからなくなった。変に長いし、はずかしい。



Xと分散SNSのアーキテクチャについて

今日、相互フォローの人(このサイトが相互リンクしているmisononoa.ccの管理人であるmisononoaさん)がある文章をSNSに載せていた。これについて変に言及しちゃったので、ここでちょっと考えてみることにする。

元の投稿の文意を(自分の論点に引きつけて)要約するとこうなる。

まず、ある社会は、その社会で使われるメディアの技術的条件が、そのメディアを使う人々の振る舞いに影響を与えてしまう、ということを確認する。

インターネットのSNSプラットフォームにおいても、こうした影響を無視することはできない。各SNSプラットフォームの技術的条件は、その中の人々のふるまいに影響を与える。さらに言えば、こうした影響はその中で生まれる文化の性質を左右することもある。ひいてはその場所の雰囲気の違いにも影響を与えるだろう。

そして具体的な論点を挙げて、所感を述べる。

Xから分散SNSに移動する人がしばしば移動した先に馴染めないのは、こうした雰囲気の違いからくることもあるのではないか。

むしろ、こうした条件の差異によって生まれた雰囲気の違いはそれぞれ価値があるものとみるべきで、こうした差異について、各サービス提供者とその利用者は注意を向けるべきである、と。

最後に、これを踏まえ、中央集権SNS(現X)と分散SNS(fediverse)について考察する。

fediverseは、各ノードがトラフィックの一極集中に弱いという負の性質がある。

一方で、fediverseはActivityPubという規格によって技術的条件がある程度共通化されている。共通の技術的基盤があることで、文化や雰囲気も共通の基盤を持つことになる。これは、fediverseの各ノードの中で生まれる文化が安定化しやすいという性質があるということでもある。

分散SNSのこうした性質は、指摘した負の性質を踏まえたとしても、長期的にみて大きな価値になるのではないか。

自分が理解したところによると、だいたいこんな感じになる。ごめん、要約になってないかもしれない。気になったら原文を読んでください。以下の考察はわたし個人の読解に基づくものです。あと(一般的な意味での)批判でもないからね。misononoaさん、雑記のダシにつかってごめんなさい。

変な言及というのは、最初の段で言われていた「技術的基盤が人々の行動を左右する」というところに反応して、やってしまったものだ。

ゼロ年代前半から真ん中あたり、情報社会論ではローレンス・レッシグの「アーキテクチャ論」がよく言及されていて、これを思い出した。で、昔レッシグがこういうのアーキテクチャって呼んでたよね、っていう言及をした。

どちらかといえば、重要なのは後者のXとfediverseの比較の方で、前提の部分は問題じゃない。思いつきで変に言及したはいいものの、後からまじめに長文をぶつけて釈明するのもなんだか変な感じだ。というわけで、ここで後者の論点について考えてみたい。

文意を汲み取りながら要約(?)をしていて、「ユーザーをとりまく環境がある程度標準化されていて文化的安定を生みやすいという性質」とはどういう意味なんだろう、と少し疑問に思った。

まず、共通の技術的基盤にもいくつかのレベルがある。fediverseでいえば、ActivityPubプロトコルがそうだ。fediverseの独自実装を含む各ソフトウェアは、ActivityPubを話すからfediverseたりえている。

ほかに、fediverseを構成する主要なソフトウェア(mastodonやmisskeyなど)も共通の技術的基盤だろう。基本的にはこうしたソフトウェアは強いライセンスでソースが公開されており、オープンソースのこうした条件が共通性をより強固にしている。

まず思い浮かぶのは、ここでいわれている文化的安定性とは、こうした条件の共通性によって、文化や雰囲気も共通したところが生まれる(生まれやすい)という読みだ。

文化や雰囲気の共通性はコミュニティの一体性を生む(生みやすい)だろう。それは全体としてfediverse上のコミュニティが連帯しうる契機になる。ここでいう共通性による「文化的安定性」は、巨大プラットフォームのなかで(意図的にせよ、無意識的にせよ)拡大する分断と対比したものになっている。

すこし元の文意から離れるが、(ライセンスによる)オープンネスは、一運営者による意図した分断の拡大を抑止しうるとも考えられる。ソースが公開されていることで誰でもサーバーを立てられる、という多様性の担保と、改変することができるが改変したならばソースを公開しなければならないという共通性の担保。この共通性は、ソースが公開されていることで、あからさまなレコメンデーションアルゴリズムをユーザーがチェックできるというメリットを生む。

細かくいえば、巨大プラットフォームは同一のプラットフォームなんだから、そもそも共通の技術的基盤を持っているのではないか、ということも言えそうだ。文化や雰囲気の差異は相対的で、どんなメディアも技術的な制約がある。これを踏まえるならば、fediverseの文化的安定性とは、(逆説的だけど)むしろ共通性と多様性のバランスによるものであり、そこが中央集権的SNSとの違いといえるかもしれない。

この立場でいえば、ActivityPubはあまり重要ではないのかもしれない。fediverseの一員であるThreadsは強力なレコメンデーションアルゴリズムによってTLが構成されているが、そのアルゴリズムは公開されていない。

文化的安定の話に戻る。元の文を読むと、共通する技術的基盤は文化や雰囲気が共通しやすく、その共通性や差異のなさそのもの、共通しやすさそのものが「文化的安定」と呼ばれていると読めなくもない。

こうした読み方でも一体性を生みやすいという論旨に変わりないだろうが、規範的な含意があまりないのが前者との違いといえる。雑に整理すれば、文化・雰囲気の共通性によって「荒れにくさ」があることを「文化的安定」と呼んでいるか、技術的共通性によって文化的共通性が生まれやすいことそのものを「文化的安定」と呼んでいるかの違いだ。

この話を考えると、gnu social jpが炎上した件を思い出してしまう。あれはmastodon、pleroma、misskeyの政治的特徴に言及したことが最初の種火だった。

詳しい経緯はここでは書かないが、たしか、masotodonとmisskeyを「左翼的」と形容したことが反発を呼んだのだった。

ここでいう「左翼」とは、開発コミュニティおよび代表的なサーバーでのモデレーションの方針を巡って形容されたものだった(はず。すべて曖昧な記憶に基づいている)。つまり、ユーザーやサーバー管理者の自由や裁量を重視してなるべくその自由を保とうとする側と、リスクやブランド、政治的方針から自由を一定程度制限しある程度モデレーションの必要性を認識する側とで相対的な違いを形容したものだった。

なぜ炎上したのかといえば、複雑な事情がある。gnu social jp管理人の態度がヘイトを集め(てい)たことが一番の要因だろうが、日本のfediverseコミュニティはTwitterの不毛な政治的議論を忌避して形作られたという事情もあった。「左翼」という形容は、それを意図せずともつよい政治性を想起させるし、モデレーションに関して開発コミュニティと代表的サーバーをまとめて語る雑さもあった。「左翼」という言葉はユーザー層そのものがそうであるかのような誤読を誘引し、そもそもそう読めてしまう雑さそのものが「レッテル貼り」として批判された。

個人的には、そもそも「右翼・左翼」という言葉のもっている曖昧さによって、過度に批判を集めているように見えた。曖昧な言葉を使うべきではないと思うし、この言葉を使うことでこうしたリアクションが起きうることは想像できた。そもそも「左翼」と形容した最初の発言者はgnu social jp管理人ではなかった。最初の発言者が何を意図していたのかはわからないが、少なくともgnu social jp管理人はこの言葉遣いに政治性を含意させていたというのも問題だったと思う。

ただ、最初に言わんとしていたその差異自体は理解できる。いろいろ留保したとして、mastodonはEUと歩調を合わせているし(Project EUNOMIAが顕著な例。pleroma勢はこれに対抗してGNU/jihadを起こした)、pleromaの制作者はgnu social時代にmastodon制作者と対立していた(不謹慎な文化を持つとしてmastodon側はGNU Social側をドメインブロック、GNU Social側は対抗してGNUSocial AXISを結成、pleroma作者のlainもそれに参画していた)。重要なのは、この形容自体相対的なものだということだ。pleroma自体soapboxを巡る事件で「左翼的」な対応を行っているため、GabやSoapbox(Truth Socialを含めてもいい)を最右翼とするなら、それにくらべればpleroma側は遥かに「左翼的」ともいえる。

歴史の話をしてしまった。もとの話に戻ろう。こうした歴史的な流れを考えてみると、いくつかの論点で疑問を覚えてしまう。

野暮なのでここで細かく疑問点を挙げはしない。考えてみるに、むしろfediverseの価値は、その多様性(を担保した技術的、ライセンス的基盤)にあるのではないかという気がする。

threadsはアルゴリズムをオープンにしていない(という前提でここまで書いてきたけど、そうだよね?)が、ActivityPubに対応しているためにfediverseの一員としてほかのActivityPub実装とやり取りすることができる。

ユーザーやサーバー管理者にいろいろな選択肢があること。多様な実装、多様なフォークがあること。これもひとつの技術的基盤に由来する事実だろう。先に見たように、fediverseは多様性を担保することそれ自体が技術的(あるいはライセンス的)な条件に組み込まれている。fediverseの構成要素は多様でありうるが、多様だからといってバラバラになりはしない。fediverseの構成要素である条件はActivityPubに対応しているかどうか。このゆるさも効いている。

多様であることはfediverseの本来的な性質だろうか。じつは、fediverseの成員であるためにはソースをオープンにする必要はない。ソースがオープンであることとfediverseが多様であることの間に本来的な必然性はない。しかし、現実的にはオープンであることは多様であることに寄与している。「fediverse」という言葉が生まれたのは、多様な分散SNSプロトコル実装があったためだ。

話をまとめていきたい。

fediverseと多様性の関係についてまとめる。fediverseの多様性を担保する技術的条件とは、プロトコルが公開されていること、それを用いれば連合が可能なことだ。これらが多様性を担保している。一方で、多様性に寄与しているのがオープンソースライセンスだ。OSSは多様性そのものを直接担保してはいない。だが、プロトコルに関わる技術的条件の背後にある、これをなしえた技術思想を構成する要素のひとつがFOSS文化だった。

無論、多様で開かれていることが単純に良いというわけではない。Diaspora*がISISに利用されていたこと、Truth Socialが内部的にmastodonとSoapBoxを利用していること、SoapBoxがGab SocialとPleromaを参考にしていること、現在のGab Socialがmastodonのフォークであること。これらはソースがオープンで多様性に寄与しているがゆえのことだ。

現実的には、モデレーションは必要だ。正直に言えば、個人的には、FOSSの思想ですべてが解決するとは思わないし、それを敷衍して自由至上主義的な立場に立つのも過激でむしろ本質を見失っていると感じる。他方でアーキテクチャの設計で社会問題の多くが解決可能だというパターナルな設計主義的立場も個人的には完全に同意することはできない。

分散SNSの価値は、分散していることでも分散しうることでもなく、多様でありうることなんじゃないか。共通性に注目するのであれば、文化・雰囲気の共通性というよりも、多様なあり方があり得、されにそれが連合できることなんじゃないか。

文化や雰囲気は事後的に生まれるもので、それを左右する仕組み自体は批判的に問われなければならないとしても、閉じられているより開かれていることのほうが意味がある。

わたしは、fediverseのサーバーやユーザーは無理に連合しなければならないとは思っていない。そもそも、連合機能を切ったならばそれはfediverseの成員ではないのだし、fediverseの価値は連合できることで、連合してもしなくてもいいことだと思っているからだ(と、完全に言いきれない自分がいることに書いていて気付いた。ドメインブロックは嫌だがサーバーサイレンスはOK、という気持ちがある。フォローしたい人がフォローできることがfediverseの価値だとも思っているんだ。「(無理に)連合しようとしなくてもいい」という表現が個人的な願望としては正確だろう)。

どんな問題も相対的なんだと思っている。Xのアーキテクチャはクソだが、そんなクソなプラットフォームの投稿全てがクソかっていうとそんなことは全然ない。アーキテクチャの影響をどれくらい見積もるのかにせよ、技術的条件は条件でしかない。

こうしたfediverse観は自分の個人的な経験が強く反映している。いろんなサーバーを見てきて、個性あるコミュニティがサーバーにあると嬉しいという気持ちも、それはそれとしていい感じのユーザーをリモートフォローできたら嬉しいという気持ちもある。

それができることがfediverseの価値だとするなら、こういうことなんだろう、というのが結局言いたいことだった。

ちゃぶ台をひっくり返すようだが、最後まで書いてきて、当たり前のことを書いているような気がしてきた。これはあれにできないことがある、だからこれはこれの価値である、と言ってるだけに過ぎないかもしれない。なせこれに価値があるのか、もっと具体的で実際的な意義について語るべきなのかもしれない。

分断と多様性はどう違うのだろう。なぜこれに価値があると言えるのか。仕組みに価値があると単にいうだけでは分断を煽る仕組みができる中央集権SNSもあまり変わらない。仕組みが人の行動を変える。人の行動を良い方向に変える仕組みが良い仕組みなのか?変えられる仕組みはいい仕組み?持続性がある仕組みはいい仕組み?

実質的なことを語ろうとすると個別具体的な論点を挙げなければならないが、それは結構面倒くさい。fediverseとは違う分散SNSとの比較も必要だろう。それも結構面倒くさい。つまり結論。なんとなくfediverseのよさってのはいろいろあって面白いからってことなんじゃないかと。そういうことですな。



まとめ

もう、寝よう。